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きょう同定したしょくぶつ

ベニカナメモチ(紅要黐)(レッドロビン)
 生垣、毒々しいくらいの赤い葉。浅い部分には、緑の葉もある。

ヒメニチニチソウ(姫日々草)
 現在手元にある資料ではニチニチソウの細かい種類が記されてないので、細かい分類はわからなかったが、濃い青紫色の花と、その中心がくぼんでいることから、おそらくこの種であると同定。葉が光沢のあるスペード型の葉で、一般的なヒメニチニチソウとは違うので、亜種か(もしくは別種?)。

ウンナンオウバイ(雲南黄梅)
 黄色で多弁の花。個体によっては、花弁がいびつにつくようで、見栄えが悪いことも。

セリ(芹)
 採取した個体が貧弱で、根に近い葉が色が薄く枯れかけていたので、同定が確実ではない。根から分枝した茎に小指の爪より小さい葉がいくつもついていた。

スギナ(杉菜)
 いわゆる山菜のツクシ(土筆)。採取したときはそれとは気づかず、群生しているものから1株だけとったが、ツクシのようなものは見当たらなかった。時期が違ったか?(20120412に採取) 葉は下から上に向けて生えており、手触りがいい。古いデク(関節が可動になっている人形)のように、葉のところどころが節のようになっていて、上下を逆さにして持つとダランと垂れ下がる。

ハマスゲ
 同定がかなり不確実。スギナと並んで、駆除が面倒だということで、雑草として見られているらしい。ハマスゲは根が深いんだとか。

カキドオシ(垣通し)
 花がまだ開いていない状態だったので、葉から同定。先日ヒメオドリコソウを同定して、たぶんオドリコソウだろうと思って採取したらこれだった。そんなに似てないかもしれない。


当方、古臭いガラケーなので、写真はありませぬ(´・ω・`)

「ギャンブル / 椎名林檎」【歌詞解釈】

あなたはそっと微笑(わら)ってくれるから
明くる朝とうに泣き止んで居るのさ
此の小さな轍(わだち)に「アナタ呼吸(イキ)ヲシテ居(イ)ル」
 昨夜は泣きながら眠ったが
 夢のなかで死んだ男の笑顔を見て目覚たら 涙は止まっていた
 彼が轢死した電車の線路には、彼がまだ生きているようだ


蝉が喚いて夏の到来を知る
其の都度何故か羨んで居るのさ
此の戦地で尽きたら「何(ナニ)カシラヘノ服従(フクジュー)」
 蝉が喚いて夏が来たのを知る
 そのたびに彼が死んだ夏をも思い出して
 もし死ななかったら私と一緒になることがあっただろうかと想像し
 一緒になっていた女のことを羨む
 残ったあの女と私との諍いしかないこの世界にあっては
 私の死や生涯はどうあがいても何かへの服従ということなのかもしれない


帰る場所など何処に在りましょう
動じ過ぎた
もう疲れた
愛すべき人は何処に居ましょう
都合の良い答えは知っているけど
 あなたのいない世界に帰る場所なんてない
 むやみに動揺して余計なことばかりしてしまった
 もう疲れた
 愛するあなたは、どこにいるんでしょうか
 天国だとかあの世だとか
 都合の良い答えなら知ってるけど


中目黒駅のホームに立って居たら
誰かが急に背を押したんだ 本当さ
此の勝負に負けたら「生(イ)キテユク資格(シカク)モ無(ナ)イ」
 中目黒駅のホームに立っていたら
 誰かに急に背中を押された
 あの女だろうか
 彼女との勝負に負けたら、彼にあわせる顔がない


飼い馴らされた猫の眼(まなこ)で
鳴いてみようか
やってみようか
愛すべき人は何処に居ましょう
予定の調和なんて容易だけど
 あの女に屈服したふりをして
 飼い猫のように鳴いてみようか
 そうして殺してみようか
 でも愛するあなたは、どこにいるんでしょうか
 殺した女が殺されるなんて
 ありきたりな結末に逃げるのは簡単だけど


声を出せばどなたかみえましょう
真実がない
もう歩けない
灰になれば皆喜びましょう
愛していたよ
軽率だね
 助けを求めれば誰かが応えてくれるかもしれない
 でも私は彼を殺した
 もう歩けない
 私が死んで焼かれて灰になれば皆喜ぶでしょう
 でも、愛していたの、あなたを
 なんて軽々しい言葉







 椎名林檎の「ギャンブル」の自分なりの解釈。夜中にふと、辻褄が合うようなこの「好いた男を奪いたがって殺した女」という視点が浮かんだので。緑色が僕の解釈です。
 かなりの意訳というか、要らない言葉をけっこう足してます。読み飛ばしてくだすってけっこうです。
 この解釈に合致している箇所があるとしたなら、「生キテユク資格モ無イ」ってのは、自分も死ぬのに、死んだ後の世界ですら彼にあわせる顔がないから、そっちでも生きる資格がないっていう、重ね重ねの皮肉なのかも。

気になった本





 軽く端書きを読んで定価で買うほどのもんではないなと思ったけど、元とはいえ市長の身だった人間の自己肯定的な感じでの告発本らしいので、安く手に入るなら目ぇ通してみたいなあ、という具合。
 なんとなく顔がバナナマンの設楽さんに似てるのに、後で気づいた。






 まさに政治をよく知らない僕。というか関心がほとんどなかった僕。社会人になった、という点については、年齢では社会人に相応する年齢ではあるけど、実際に社会人なのかどうかはハッキリしない僕。
 池上彰さんは、それなりに信頼してます。この人の情報は、そんなに嘘ないんじゃないかなー、と思ってます。でもこの人の本は読んだことない(TVでばっかり見てる)ので、紙媒体ではどう変わるのか見てみたいって興味もある。目次だけ見た感じでは、かなり興をそそる。











 再度、池上さん。これも宗教だったり色々幅がありそうなので、読んでみたい。








 これは例外。”買いたい本”ではなく、”時間と金に半端なく超余裕があれば流し読みしてもいいかも”という感じ。今日行ったTSUTAYAでは、山田悠介の小コーナーすらあって、「ああ、山田悠介というジャンル、レーベルができたのかあ」と感慨深くなった。がんばってください。








 三編ほど収録された一冊。SFにありがちな「1日をループする」というテーマなので読みやすそうなのと、たしかTumblrでこの本に関する叙述を見かけた気がして、ふむ読んでみるのも一興かなと思い。







 前々から気にはなってたんだよね、悪人。そろそろブームというか熱も冷めた頃だろうし、読んでみるのもイイかもしれない。

身体の欠損フェチについて

 またもやtogetterで興味深い議題があったので、考えてみる。

 乙武洋匡さん(@h_ototake)の「みんな身体的特徴についてどう考えてるの?」の連続ツイート - Togetter

質問者さんとはすでにやりとり済みなのですが、みなさんはこの件に関してどうお考えですか? RT @unp_f: 乙武さんは障害者萌えについてどう思われますか?特にダルマ(四肢欠損)などの重度とされる障害に対しての萌えについてです。

「欠損フェチ」反対派のみなさんに質問。「四肢が欠損している」という身体的特徴に性的な魅力を感じることに嫌悪感を覚えるなら、「背が高い」「胸が大きい」といった要素に性的な魅力を感じることにも、同様の嫌悪感を抱きますか?


 ちなみに僕は、欠損フェチではないが、欠損フェチ反対派でもない。そういった身体的特徴に性的魅力を感じはしないが、欠損フェチをある程度は理解できるとして、むしろ肯定派に近い。

 世のなかの多くの人は(その欠損フェチの存在と同様)知りもしないだろうが、「かたわ少女 」という同人のフリーノベルゲームがある。「かたわ」とは放送禁止用語であり、手塚治虫のマンガでも使われたがそれも問題視されるという言葉で、「片端(輪)」と感じ表記して、「体の完全じゃないこと」を指す。ブラックジャックでは主人公BJの継ぎ接ぎだらけの体が、またどろろでは百鬼丸の五体不満足の体が、かたわと表現されていた。その「かたわ」を冠するように、このゲームは「身体的に五体満足でない少女が登場するノベルゲーム」ということだ。クリアはしていないが、非エロだと思う。
 まあそういうゲームをダウンロードしてプレイしようと考える程度には、身体欠損という特徴には興味がある(興味がある、という表現自体びみょうなものだが)。それを欠損フェチに対する反対と見なすより肯定と見なすほうが自然だと思った。

 まず提起された質問は、「障害者萌えをどう思うか?」と「『背が高い』『胸が大きい』という身体的特徴に魅力を感じることに嫌悪感を抱くか?」というものだが、障害者というと身体障害のほかに精神障害や成長障害なども広く含むことになるだろうし、後者の乙武さんの質問は修辞的なものだったりする(「嫌悪感を抱かない」という答えを予め想定しての質問)ので、要素を「身体欠損」に絞り、表現も統一しようと思う。

 まず障害者萌え、すなわち「身体欠損の人に萌えること(欠損萌え)」については、賛成派ではあるが、不謹慎であるとも感じる。それは身体欠損という特徴ばかりを好んで、その人自身を好まなければ、侮蔑になるだろうと考えるからだ。もし僕が足がなかったとして、彼女がその足がないという点だけが好きで僕と付き合い、僕の性格や考えにまったく興味を示してくれなければ、これはかなり悲しいと思う。だから不謹慎だと感じる。
 けれども身体欠損というものはあくまで”特徴”なのであって、必ずしもデメリットであるとは限らない。穿った見方ではあるが、身体欠損であれば周囲は助けてくれるだろうし、同情を引くこともできる。もし俳優になれば、「身体欠損の俳優」としてニッチではあるが五体満足の俳優にはできない役を演じることができる。それに欠損萌えの是非を別にすれば、その身体的特徴があるだけで好きになってくれるかもしれないわけだ。イケメンが顔がイイだけで好かれるように、身体欠損であるだけで好かれる可能性もある。もちろんその可能性を比較すれば身体欠損を好む人の絶対数は遥かに少ないだろうけど。
 そもそも身体欠損に限らず、身体的・精神的な障害というものをデメリットと捉える考え方、それ自体が侮蔑しているも同然ではある。ハゲのオッサンに「寒そうだな」と思って「カイロ貼りましょうか?」と云えば怒鳴られるのが当然であるように、障害をもつ人に「手助けしましょうか?」という言葉をかけたり、それに近い行動をとること自体、「あなたのように障害をもつ人は、わたしのような健常者が助けるべき、弱い存在だ」と云っているようなもので、ハゲのオッサンに「ハゲでかわいそうだね」と云っているのと大差ない。もとより「障害」という呼称自体が五体満足や健常と云われる人の精神が正しくあるべき姿で、それと違う状態の人のことをマイナスであるとして「障害」と呼んでいるわけだ。ひょっとしたら「障害者」と呼ばれている人たちは「進化した新人類」かもしれない。人間のあるべき姿というものを知らずに、健常者と障害者という枠組みを盲信しているだけにすぎない。

 ここで僕は「『背が高い』『胸が大きい』という身体的特徴に魅力を感じることに嫌悪感を抱くか?」という乙武さんの質問が出てくるんだと思う。身体欠損というものも、身長の高低という差も、女性の胸の大小の違いも、どれも「他の人と差異がある」というだけに過ぎない。
 フラットに考えてみよう。仮に、僕らがネズミだったとしよう。進化の過程において、突然変異(ミューテーション)として他のネズミたちとは違って、ネズミの僕は年に一回毛が抜けるという先天的な奇病にかかってしまっていた。当然、他のネズミたちは気味悪がって、なにかといえば僕をイジメるわけだ。僕はそのネズミの群れ(コロニー)の外れで細々と暮らさなくてはいけなくなった。だが、僕のその毛が抜けるというのは、病気でもなんでもなく、進化の表れだった。僕が生まれる前まではそのこの地域一帯は気候がわりと安定していて、体温を調節する必要がなかった。しかし天変地異の結果、四季が生じて夏と冬ができてしまった。それを予兆した僕の遺伝子は、夏の暑さに耐えるため自動的に毛が抜けるように仕向けた。冬は寒いので毛が通常より長く伸びるように仕向けた。夏や冬が訪れるたび、毛が一定の長さでしかないネズミたちは、どんどん淘汰されていく。僕は進化し、他はできなかった。
 この作り話は、身体の特徴が進化の可能性であるということと共に、その器質的・物質的な差異を侮蔑したり嘲笑することはバカバカしいということも示している。
 よくある「差別」と「区別」の違いというのを挙げるが、ここでいうバカバカしい侮蔑や嘲笑が差別で、区別とはあくまで器質的・物質的な差異のことで、僕とこれを読んでる人の身長が違うことも、体重が違うことも、体内リズムが違うことも、性別が違うことも、すべて「区別」だってことだ。僕と同じカタチの人間は誰一人いない(SF的な発想やドッペルゲンガーは今は忘れよう)。僕と他の人たちは多少なりとも違うのであって、その違いというのは区別だ。差別というのは、その区別から発生するもので、よく侮蔑や嘲笑を差別と云ったりするけど、実は「イケメンがイケメンだからモテる」というメリットも差別なんだと思う。要するに差別っていうのは、単なる個体差である区別から、メリット・デメリットという価値観に発展させる考え方なんだと思う。僕らはみんな体が違う(区別)のに、得をしたり損をしたり、また得させたり損させたり(差別)してしまう。
 あえて明言しておきたいのは、この差別が決して悪いと云いたいわけじゃないということ。人間は社会のなかで生きるわけだし、そのなかで生きていかないといけないんだから、器質的・物質的な区別だけでは判断ができなくなってしまう。「あの人は目つきが怖いから近づかないほうがいい」「あのコはカワイイから声かけてみよう」といったような、バカバカしくはあるが率直で早い判断はあっても悪くはない。間違っていれば後々、修正していけばいい。区別だけで差別なしに生きるのは難しいし、だからといって区別と差別の違いをハッキリさせずに差別ばかりというのも愚劣だ。だからバランスであったり、自分は差別することもあると認識して生きていけばいいと思う。

@h_ototake そうじゃなくて、「欠損フェチ」という趣向を持つ人は自らの欲求のために愛する人の四肢を切断すると言った猟奇的な行動をするのではないか?という恐怖がつきまとうために抵抗を覚えるのではないでしょうか。五体不満足だからどうこう、ということじゃないんです。


 これは至極まともな意見だと思う。欠損を肯定するという奇妙な価値観に初めて出会えば、そう危惧するのもわかる。でも巨乳好きが貧乳の彼女に豊胸手術を強制するかどうかは嗜好とは別であるように、自分のもっているフェチを他人に強制するという性格・考えが危険なのであって、嗜好が危険なわけではない。とはいえ、スナッフフィルム(殺人ビデオ)のフェチの人物がいたとして、そういった需要が高まってしまったときに、本人たちとは別に第三者が誰かを殺してビデオに撮って流通させる危険性があるように、欠損フェチが多いと判断した誰かが健常な人をわざと欠損させてしまう、という可能性は否定できない。そこは危ういが、でもやっぱりフェチ・嗜好をもつ人たちを否定する根拠にはならない。

2.「人は、内面や人間性を見て好きになるもの。外見だけで判断するのはおかしい」とのご意見が、とても多くありました。でも、内面に目を向けていく導入として、やはり外見は大きな役割を果たしていると思うのです。身体障害は、その「外見」において、一般的には大きなハンデと考えられてきました。


 「人は、内面や人間性を見て好きになるもの。外見だけで判断するのはおかしい」というのは尤もだけど、チャットやtwitterだけで顔も知らずに好きになってしまった相手の、顔写真をちらっと見ただけで落胆してしまうことがある(かもしれない)ように、人は内面だけじゃなく外見も重要だと思う。
 こういうケースを考えてみよう。出会い系サイトで会うことになった人がいる。その人の文面から伝わる性格や思いやりを好きになったものの、どうも不安で遠くからその人を眺めてみた。「みつけた!」と思ったのも束の間、なんとその人の外見はプレデターそっくりだったのだ!



 ……僕なら一目散に逃げる。外見がプレデターの人とは、恋愛関係を築くことができないと直感するからだ。「内面が重要で、外見なんて気にしてはいけない」という人は、プレデターと問題なく付き合うことができないと、自分の主張と矛盾することになる。その点、僕は外見も大事だと思うので問題ない。
 そしてここにおいても、乙武さんの意見には賛同できる。

4.僕自身はこの体をコンプレックスに感じていないから、そこまで大きなよろこびを感じないけれど、受け手によっては大きな救いとなるかもしれない。逆に、傷つく人もいるかもしれない。同じ障害があっても、千差万別。その人がどう受け取るかは、僕にもわからない。障害者を代表することはできない。

5.ただ、他人がそうした好みに嫌悪感を覚えることには、違和感がある。なぜ、ダメなのか。「背が高い」「胸が大きい」という身体的特徴に魅力を感じることは一般的にOKなのに、なぜ四肢欠損といった身体的特徴に魅力を感じることはNG、タブーとされるのか。そこで、みなさんに意見を募った。

6.その理由は、大きく分けて3つあったように思う。ひとつは、その嗜好が、純粋な身体的特徴に対するものではなく、「自由の利かない相手に対して、自分が優位に立ちたい」という感情からではないかと感じるため、そこに嫌悪感を覚えるのだとする意見。なるほど、そういう人がいないともかぎらない。


 この「優位に立ちたい」というのは、肯定する立場からすれば最も触れられたくない点だと思う。だってそれに「絶対違う!」と反論することはできないから。たぶん0%そんな感情はない、ということはなく、1%であれ、0.1%であれ、0.00…0001%であれ、もってると僕は思うから。いわゆるギャルゲーにか弱い女性キャラが多く、また2次元の女性キャラと3次元の現実の女性を対比したときに2次元はあからさまに”文句をいってこない”という強みがあるように、そういったものを好む男というのは、どこかしら「優位に立ちたい」というのがあると感じる。それに対する嫌悪感は妥当だと思う。

9.いつも言うことですが、正解はないように思います。身体障害に魅力を感じるのも自由だと思うし、そこに嫌悪感を覚えることも自由。どちらも感情ですから、縛りようがありません。ただ、僕が今回のことであらためて強く感じたのは、「世の中、いろんな人がいるなあ」ということ。本当にビックリ。


 理系の僕は、なにかしら不安定でも答えを求めようと期待してしまうんだけど、自分のなかで納得できる答えを模索するのと、他人にそれを提示して納得してもらうのとは、厳密には違うことだから、「正解はない」というところに落ち着けるのが適当かなあ、とも思う。


 思うに僕は、この身体欠損に対するフェチというものを通して、障害とはなにか、また差別とはなにか、について考えをまとめたことになるんだろうなあ。このtogetterを見るに、僕のは大した意見でもないようだし、僕もそれで安心している。こういうとき僕は、アマとはいえ書き物をしてる人間として、他人とは違う視点で見ること、なんだったら人より高い見方をできることを望みながらも、自分の狭量・限界を知る者として、僕の考え程度もできない人が多いということを嫌う生き物だから、なんだかんだでめんどくさいヤツだなあ、と己を笑うことで終わるのでした。

デスモ当たったあああああ!!!



やっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい
誰やねん、コイツ

MonoCarky

新都社の文藝や
ニートノベルで
小説を書いてま……した。
いつか再開します。
◆/6V.PHILIAとか
使ってます。

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