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もしドラの作者が云っていること。俺みたいなヤツが考えること。

 もしドラの作者がなにか云っているとTwitterで知り、当該ブログ記事を読んでみた。なにかと思ってたら、作者がとある読者の感想に対して苦言を呈していた。
 その作者さんのブログ記事では、ある読者さんがもしドラについて書いた批判の記事3つを引用して、作者さん自身の意見を書いてある。


【お品書き】
概略
読者さんの記事
作者さんの記事



□概略


 最初にこの記事を読み通して、思ったのは「この作者、救えない」ということだった。
 端的にいえば、「高菜食べてしまったんですか!?」のラーメン屋の店主が、小説書いたみたいなもんです。客が自由に自分の思うままの食べ方をしたら、「これはこういう食べ方をするのが至高で、どうしてその芸術性を理解しないんですか!?」と云ってるようなもんだった。

 見るに、作者VS読者という安直な対立構図が浮かぶわけだけど、文調や姿勢などから、

作者「こいつバッカでぇ」
読者「こいつバッカでぇ」


 というニュアンスを感じた。
 どっちもそれなりに攻撃的な姿勢で、どっちもあまり相手の意見を汲もうというのが感じられないスタンス。なんか「平行線になりそう」な印象だった。

 それと、論争(というほどではないけど)の焦点にしている「もしドラ冒頭の、書店員が主人公にドラッカーを勧めるシーン」だが、正直どうでもいいので、俺はここの内容についてはなんら言及しません。



□読者さんの記事


 まずは引用された読者さんの記事3つを見てみる。

もしドラの作者は思い込みが激しすぎるのではないか - やねうらお−よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る
物語読解時のルール - やねうらお−よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る
もしドラはこう解釈しろ! - やねうらお−よっちゃんイカを食べながら、息子語録を書き綴る


■3つの記事


 最初の記事で読者さんは、コミックもしドラに手を伸ばした読者さんが、作者さんがそのコミックに寄せて書いた文章に疑問を呈している。
 2つめの記事では、「物語の解釈」というものについて「人によってある程度の幅はあるものの、解釈に大きな差が出ることはない」と語っていて、さらに「物語を素直に信じなさい」「物語で触れられていない部分は読者がイマジネーションを働かせて勝手に辻褄が合うように埋め合わせながら読むべき」という物語に対する姿勢についても書いている。
 3つめの記事では、大手ニュースサイトに上の記事が取り上げられ、コメントが多く寄せられたらしく、そのなかから作者に肩寄せするようなコメントを引用し、例の本を勧めるシーンについて語り続ける。



■もしドラの感想


 俺は基本的には、この読者さんと同じスタンスではある。もしドラを賛美するサイドじゃなくて批判するサイドね。
 読書メーターのコメントでも書いたけど、本書は小説としては最底辺レベル、紹介本してならまだ可、でも作者さんは小説だと断言しちゃうどっちつかずだと思いました(ご覧の通り、もしドラの感想で星を何十個も貰ってる人もいるなかでの、低評価の感想ですが)。
 再読したいとは思わない、同じ作者の作品をこれから読んでいきたいとも思わない、アニメも見たくならない、正直こういう機会でもなければ思い出すこともなかった作品だと思います。有り体にいえば、「失敗した作品」だと考えています。
 持ち上げられる点があるとすれば、「基本に忠実」ってとこでしょうか。起承転結ハッキリしていて、キャラもそつなく物語の枠からはみ出ることなく収まってる。まァそれが冒険してなくてキャラが記号的でストーリーに新しさがなく、ラストのお涙頂戴シーンが安っぽくてしかたがなくなってるんですけどね。
 その失敗した作品のなかで、冒頭のちょっとしたシーンについて書かれているのを見ると、「ええ……そこ?」と思ってしまうわけです。



■些事


 それに読者さんはもしドラ冒頭の「書店員が主人公にドラッカーを勧めるシーン」について語っていて、作者さんもここに対して反論をしている、というのが二者間のやり取りの中核になっていた。

 「いや、小説だから」と俺は思ってしまった。
 このお二方が語っているのは、ホントに些細なことで、チェーン店のラーメンで丼に虫が浮いてるのに、「すいませーん胡椒ないんですけどー」「ウチのラーメンに胡椒は合わないのでありません」って話してるような感じですかね。『いや、虫入ってるよ? そこの文句言おうよ。ってかこの店のラーメン不味いよ』って。

 だから読者さんに対して、視野が狭くなってるんじゃない? とも感じた(もちろん読者さんの記事すべて読んだわけでもないので、他の部分の感想を書いてる可能性もあります)。

 俺もアマでワナビとはいえ小説を書いてるから、ちょっとした小細工については話せるわけだけど、物語をつくるときの荒技として「マクガフィン」ってのがある。これは物語の中核に密接にかかわるわけじゃないところを、まあ適当にあしらっちまおう、みたいなもんなわけです。ンなとこに時間かけてらんねえよ、って。
 で、この「書店員が本を勧めるシーン」ってのは、ストーリー上「主人公がドラッカーを知るきっかけ」って程度のもんで、「ドラッカーを読んだ女子マネージャーが、いかに野球部を成功に導くか」というもしドラ最大の中核の前には、大した意味も価値もない。
 そのどうでもいい大したこともないところを、読者さんは「ここは現実的じゃない」と云って、作者さんは「細かいところにまで気を配ってるから理解を」と云っている。



■細かいこと


 細かいことを云えば、「物語を素直に信じなさい」というのは聖書みたいなもんで、エンタメ小説を読むときのスタンスではなく、物語とは神聖で侵すべからざるものだから従いなさい、というような狂信的とすら云えるものだと思う。
 「物語で触れられていない部分は読者がイマジネーションを働かせて勝手に辻褄が合うように埋め合わせながら読むべき」については、ただただ作者の願望であって、読者がこういう考えのもとに読むのは勝手だが、まあほとんどそんな人いないんじゃないかな。ちょっとレアなケースを云えば、アニメとかに関しては描かれていないシーンで妄想する、という人もいたりする。それが同人誌のネタになったり、またパロディのネタになったりすることがある。

 読者さんはずっと「この勧めるシーンは非現実的だ」というような論調で続けているが、そもそも程度の差こそあれ、創作物というのは非現実的なことを描くものだから、非現実的でもオカシなことはない。
 たとえばIS(インフィニット・ストラトス)のようなハーレムものに対して、「1人の男に対して多数の女の子が好意を寄せるのは非現実的だ!」なんていうのは妄言でしかない。そういう展開を中心、基軸として書いている作品なんだから。
 同様にもしドラってのは、キャラやストーリーに情熱を入魂せずに、ドラッカーの流れを汲ませて、メディア展開しやすいように、アニメオタクに媚びつつ、映画の演者のイメージからかけ離れないように、いろいろと加味して作られたものだと考えれば、さほど怒りは上ってきません。売文家め、とは思いますが。

 そしてこの読者さんに一言云っておきたいのは(でも誰も見ないに1000ガバス!)、3つめの記事で補足してある「これは決して皮肉ではなく、本当に心からそう思います」という文章、これはこういう書き方した時点で皮肉になりますよ。「皮肉」という言葉を出したってことは、皮肉って言葉を相手に意識させるために書いたも同然で、こういうときはいくら「皮肉じゃない」といっても皮肉になってしまう。だから本当に相手に不快感を与えたくないなら、「本当にそう思います」だけにしたり、文章そっくり書き変えてしまわないといけないと思う。




□作者さんの記事


「小説の読み方の教科書」を書き、それを伝えていくのがぼくの使命 - ハックルベリーに会いに行く


 俺がこの作者さんの記事を読んで一貫して感じたのは、傲慢な態度だった。上で読者さんのことにもある程度は批判的なことを書いてきたけども、この作者さんの態度に比べれば鼻毛である。その鼻毛を抜いて「クシュン!」とクシャミしてしまえば、もう読者さんの”悪いかもしれない点”なんて終わり。
 もともと作者さんの記事は、上の読者さんの記事に反論するという形で書かれている(噛み砕いていえば、自分の本に対する批判的な意見を潰そうとしている)。それに対して、横文字だしたり難しそうな言葉を出してはいるが、結局のところ

「俺は実際に、現在も売れてる本を書いたんだよ。しかもそれは実力なんだよ。その本を理解できないのは、君の頭に原因がある。だから潰す」

 そういった小賢しいというか、情けない威嚇に見えてしまった。



■売れている期間の長さ


 細かく順を追って内容を見ていくと、
 まず、もしドラを「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」と考えるのは合理的でないと述べる。
 その上で、

そもそも『もしドラ』がブームと世間で認知され始めたのは、2010年3月にNHKの『クローズアップ現代』で取りあげられた頃からである(実際にはもっと早く、2010年初頭には書店で話題になっていた)。そうして、それから実に1年半近くもの歳月が経過したが、その間に上記3つのような評価――すなわち「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」のどれか一つでも確定され、そのことのコンセンサスが醸成されるようになったならば、どこかでいわゆるブームというものは収束して、とっくに売れなくなっていたはずだろう。

 山田悠介という「酷い文章を書く」ことで一部では有名な作家(リアル鬼ごっこが処女作)は、今でも作家として活動している。しかも文章は酷いのに、映画化されるなどのメディア展開もされている。文章は酷いのに。
 その理由の一端として、もはやその酷い文章がおもしろかったり、コネがあったりバックボーンが大きかったり、支持層が活字になれていない、などを挙げることもできる。
 メディア展開されると、その作品は得てして寿命が延びると思う。ラノベがアニメ化されるとその人気が活性化されるように、メディア展開されない小説の寿命が右肩下がりにドンドン落ちて行くのに対して、アニメ化されるとその放送期間は下がることがない、と考えることができる。そう考えると、最初に小説を発表してから現在までの期間をe、アニメや映画の効果をまったく考慮に入れず、小説だけの功労だと考えるのはどうかと思う



■ノイジー・マイノリティ


 また読者さんのようにネット上でもしドラを批判する人間を、「ノイジー・マイノリティ」としている。俺はこの言葉は初めて聞いたが、「サイレント・マジョリティ」という言葉は知っていた。
 「サイレント・マジョリティ」は直訳すると「静かな多数派」で、なにかの商品や作品に対して、多くの人は賞賛も批判もせず黙っている、というような考え方。だから「ノイジー・マイノリティ」、直訳すると「うるさい少数派」は、その商品や作品に対して、声高らかに賞賛・批判するごく少ない人間、ってことだろう。

そうして、その裏には膨大な「サイレント・マジョリティー」がいる。なにしろ270万もの方々に読んで頂いた本である。しかも、1年8ヶ月もの長きに渡ってだ。Amazonで最初の星1――つまり最初の酷評がネットに掲載されてからも、すでに1年半が経っている。しかし『もしドラ』は、その時よりもさらに250万部増刷したのだ(その時点では20万部くらいだった)。

 またこうも書いているが、じゃ太宰や芥川、夏目が、最初に酷評されてからどれくらい長く販売されているか? という疑問にはどう答えるんだろう?
 もちろんこれは単純に、最初に酷評されてからもずっと本が売れているからといって、当初の酷評が的外れである、というのはオカシイってこと。
 それにあたかもサイレント・マジョリティ全員がもしドラを賞賛しているかのような書き方はイタダケナイ。

その270万人のうち269万人が「ダメだこりゃ」と思ってるかもしれないし、もちろん逆に269万人が「すんばらしい!」と思ってるかもしれない。サイレント・マジョリティは黙ってるから、そこの色を感じ取ることはできない。黙ってる人のなかに、もしドラを好きな人がいれば、当然嫌っている人もいるという事実を直視しようよ、と情けなく思う。

 その上、読者さんを槍玉に挙げて「読解力が不足している」というのも、「俺の文章を理解しないヤツはダメだ」ということでしかない。しかもここで「読者さん=ノイジー・マイノリティ」、「読者さん=読解力が不足している」とすることで、暗に「ノイジー・マイノリティ=読解力が不足している」という間違った意識を植えつけようとしているふうにも見える。もしそうだったら、「間違ってやっちゃった」じゃなくて「意図的な詭弁」になってしまう。



■僕は間違っているかもしれない


ここで一つ疑問なのは、「なぜyaneuraoさんは『自分が間違っているかもしれない』と仮定することはないのだろう?」ということだ。(中略)ちなみにぼくは、いつでも「自分が間違っているかもしれない」と仮定している。そうしてそのたびに、自分自身で綿密な検証をくり返している。そのうえで、初めて意見を言うようにしている。自分が自信を持って言うことのできることしか、言わないよう心がけている。だから、ぼくは前言を翻すことはほとんどない。また、だからこそブログが炎上しないのかもしれない。

 ここの「自分が間違っているかもしれない、と思う」というのは、立派な考えだと思う。俺自身もこのスタンスを保ち続けたいと考えている。もちろん、最後の自画自賛は苦笑ものであるけど。

 次に続く言葉が、

yaneuraoさんの読みのどこが誤っているか、個別具体的に示していく。

 である。

 小説ってものは、座談会や会議のように発言をお互いにして高めていくものではなく、作者が勝手に書いたものを読者が勝手に読むという一方通行でしかない。
 参考書や赤本のように「理解できない=読者が悪い」ということもあるが、それは毛ほどの疑問を差し挟む余地もなく”正しい答え”がある場合。小説は物語だから、「あのキャラ嫌い」「このストーリーおもしろい」という好悪はあっても、論理学的に「このキャラは真である」「そのストーリーは偽である」という正否はない。だから「この人の小説に対するこの考えは嫌い」とは言えても、「この人の小説に対するこの考えは偽である」とするのは難しい。もちろん科学的に誤った情報から導いた考えだったり、事実に対する誤謬があったりすれば、偽であるとも云える。

 だから俺にはこの時点で、「自分が間違っているかもしれない」という作者さんの姿勢が崩れてるように見えた。
 ちなみにメタ的発言をさせていただければ、この記事は作者さんの姿勢が異常でいけ好かないから書いた。偽だと思ったから書いたんじゃなく、嫌いだから書いたまで。


■誤り


yaneuraoさんには、そういう読み方ができていないのだ。yaneuraoさんには、おそらくそういう経験が不足しているのではないか。何かにピンと来て(言葉ではなく雰囲気を感じて)、それをそのまま実行したら上手くいった、という経験が。(中略)

そういう経験をしたことがあり、それが血肉化している人には、このシーンは比較的受け取りやすい。だから、裏を返せばこのシーンが分からない人は、そういう経験がない――つまり第六感を上手く使いこなせてない、未開発の人たちだと言うこともできるだろう。

そういう結論が出たから、ぼくは、そういう人たちの意見は聞き入れないようにしているのだ。勘の鋭い人から「これは違う」と言われれば、それは「心して聞かなければ」と思うが、しょっちゅう箪笥に足の小指をぶつけているような人に、「お前はセンスがない」と言われても、それはどうしたって聞く気が起こらない。

 ここは特に酷い。
 フツー、とくにネットをするときは、人の顔が見えない・声も聞こえないという相手を知る術がページに現れる文字しかなく、穿った物見になりやすいから、あまり決めつけてしまうと自分が痛い目を見る、って考えたりすると思う。
 でも作者さんは読者さんを「そういう経験」とやらをしてない人であり、すなわち「未開発の人」「しょっちゅう箪笥に足の小指をぶつけているような人」と侮蔑している。自分の文章を理解している人を、そういうふうに罵っている。
(ちなみにこれは俺にも云えることで、俺はもしドラと当該記事を読んだだけだから、作者さんのことなんて露ほども知らない……というか知りたくもない。だから同様に、蓋然的に話しているとして、俺も批判を受けなければいけないだろうし、その覚悟はできている)

そしてまた、さらに言うならぼくは、yaneuraoさんにも自らの誤りを認め、読み方を正してほしいのである。なぜなら、その方が楽しいし、人生も豊かになるからだ。

 「行間を読む」のはもはや当然のことだとして、「君の思想は間違っている。その間違いを認めてコッチに来なさい。そうすれば楽しいし、人生も豊かになる」と云ってる。コレって怖くね? コレ云ってる人が権力もってて魔女狩りの時代だったら、「いやだ」って云ったら殺されるレベルの強引さですよ?

 それに「人生が豊かになる」という書き方で、宗教の押し売りみたいな厄介な感じがした。
 その昔、まだ高校生とかのガキだったころ、俺は自己啓発ってのが大嫌いだったんですよ。神経耗弱の人を騙して金を巻き上げるというイメージしかなかった。もちろん今では改めましたよ? ある程度は。哲学とか思想とか、ちょっとはカジりましたから。でもね、やっぱり詐欺まがいの自己啓発は横行してると思うんですよ。そういう怖さを、「人生が豊かになる」に感じました。

ぼくが、ぼくの本に限らずあらゆる本の読者に求めるのは、自分が理解できなかったら「理解したいとも私は思わない」という態度を取るのではなく、「これを理解できるようになったら、自分の人生がもう少し豊かになるかもしれない」と考えて、「今の理解できない自分がダメなんだ。この状態を脱するために、虚心坦懐にこの本を読もう」と思ってもらうことである。

 これも姿勢としては理解できる。さっきと同じく「自分が間違っている可能性」を考えてるわけだ。
 でも要は、読者さんは「自分が読解力が足りないからわからないんじゃなく、本のレベルが低いから」と云ってるのに対して、作者さんは「本のレベルが低いからわからないんじゃなくて、読者の読解力が足りないから」と云っている。



■疲れた


 読者さんは最初の記事で、「もしドラの作者はきっとドラッカーを最高の教えだと信じている」と云っているが、俺は「もしドラの作者はきっと自分の小説が最高の芸術だと信じている」というふうに感じる。

 作者さんは批判のうち「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」という3つを取り上げたが、俺はそうは思わない。
 「表紙とタイトルだけで売れた」……メディア展開のおかげとかじゃ? アニメ然とした女子高生の立ち絵がある表紙とラノベ式タイトルだけじゃ、現行のラノベと大差はない。差があるとすれば「ドラッカー」という箇所ぐらいで、そう考えると紹介本としての調味料がきいたのかもしれない。ただし俺が買ったのは、すでに書店の目に附く箇所に置かれていたせい、最近売れてるらしいという口コミのせいであって、そういった書店や周囲のプッシュがなければ唾棄してたものだと思う。
 「アイデアはいいけど内容がない」……アイデアというのがなにを指すのかがわからないけど、紹介本と小説を兼ねるという点? もしそうだとしたら、似たものとして京極夏彦の「どすこい」が挙げられる。「パラサイト・デブ」「すべてがデブになる」など、「パラサイト・イブ」「すべてがFになる」をパロって、なおかつ相撲(デブ)と関連させるといった馬鹿馬鹿しいネタが盛り込んである。もちろんパロだから純粋な紹介ではないけど。なお、「内容がない」という点も言葉が間違っていて、「内容はあるものの薄っぺらくチープ」であるだけかと思われる。
 「文章が下手」……ここに関してはわからない。というか思い出せない。記憶にない。

 こんなふうに考えれば、

「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」のどれか一つでも確定され、そのことのコンセンサスが醸成されるようになったならば、どこかでいわゆるブームというものは収束して、とっくに売れなくなっていたはずだろう。

 という作者さんの考えの上でも誤りはない。3つの批評のどれも正しくないのであるから、その理由で売れなくなるという可能性はない。ただし、俺の評価が間違っていて、実は3つのうちどれかは正しいかもしれないし、そもそも作者さんの掲げた図式が間違っている可能性もある。

 作者さんの云っている「自分が間違っているかもしれない」という考えには全面的に賛同するし、読者さんの云っているような「解釈に幅はあっても、相場は決まっている」という考え方にも納得はできる。でもやっぱり人だから正しい点もあればオカシな点もあるわけで、そこについては言及したいと思った。もちろん俺も人間だから間違ってる部分もあれば、正しいかもしれない部分もあるかもしれない。批判と賞賛は誰にでもある(VPのバドラックも悪いヤツだったけどイイことをした)から、そこをちゃんと云えるようにはなりたい。

 「自分が間違っているかもしれない」ということは、「自信過剰になったり誤った道に乗り込まないために、振り返ることができるよう準備しておく」ということかもしれない。そうだとしたら、俺は断言しといたほうがいいかもね。ここまで↑に並べ立てた言葉は全部間違ってます! ってね。確実に誰かを傷つける文章ではあるし、また事実かどうかを確認することが簡単なことばっかでもない。でもこれも作者さんと同じく、撤回する気は今のところないしね。これを逃げの一手にするのは無様だし。

 俺が昔々いまよりも小僧だったころに小説をホメられたとき、「ここはこういう感じで書いてね、こっちはこういう経験を活かして書いたんだよ!」って歓喜して「理解してくれてありがとう!」という気持ちで書いたのが、相手を引かせてしまったことがあるけど、作者の「俺スゴイでしょ論」はそれに似てる。ちょっと変形させて、「君はそうして批判するけども、皆ぼくの本を読んでくれてるわけで、そんな素晴らしい本をぼくがどうやって書いたかというと……」って、批判潰しと自画自賛を一緒にやっちゃってる感じ。
 「どうだい、旨いだろ? 旨くない? 君は舌が馬鹿だね」ってね。

 ひとつ俺の姑息な部分を露呈するけど、この記事ってのは作者さんの言葉にあるように、「自らの誤りを認め」てほしいと思ったわけです(相手の言葉を利用してそのまま相手に返すという皮肉!)。それがこの記事の根底なんだけど、実はね、別に作者さんに改めてほしいなんて思ってません。改善してよりよき日々を過ごして、成功し続けて、幸せに生きてほしいなんて思ってません。このまま失墜されても構わないし、以降まったく表舞台に姿を表すことがなくても頓着しません。結局のところ、この方がどうなろうと俺には興味がないんです。それをわざわざ書いちゃうのが、俺の姑息な部分です。


 いろいろと書いたけど本当は簡単なことで、創り手が鑑賞者に対してお小言いうなんてのが馬鹿馬鹿しいだけですね。よほど腹が立ったのか、理由がなんなのかは理解できませんが、「感想ありがとう」ではなく「その感想はおかしい」ってのがオカシイって思う。
 もしこれが批判意見じゃなかったら、どうだったんだろうね? 「稀代の天才による文学史上最高の芸術!」と誉めそやしながらも、作者さんのまったく意図していないふうに捉えられてたら、そのファンに対して「いや君、それは違うよ。君は読解力が不足している」なんて云えるんだろうか?
 フジ騒動でも、某巨大掲示板に工作員としてフジからの擁護の書き込みがあったようだけど、それに似てるかもね。批判潰し、って意味では。

コメント

非公開コメント

No title

いやただの新作の宣伝ですよ
読者さんも金で買われ記事を書いたかも知れませんし
岩崎氏の手法の一つですし本気で怒ってなんかいませんよ



多分

Re: No title

そうですか。
俺は思ったままを書いただけなので、嘘のつもりもありませんし、
それでも一向に構いません。
誰やねん、コイツ

MonoCarky

新都社の文藝や
ニートノベルで
小説を書いてま……した。
いつか再開します。
◆/6V.PHILIAとか
使ってます。

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